(牡鹿半島を走るコバルトラインと金華山(島) 津波が来る前は潮がひき、金華山まで地続きになったたそうです。)
震災から7年がたちました。
昔、宮城出身の父から「海の水がひいたら津波が来るから高いところへ逃げるんだよ」と言われたことがありました。なぜそんな話になったのか、幼い頃のことでよく覚えていないのですが、瀬戸内の優しい海しか見ていない私にはなかなか津波のイメージができず、頭の中で必死に津波というものをイメージしながら話を聞いていたのを覚えています。
7年前四谷で働いていた私はあの地震の後、自宅の様子が気になり一旦帰宅しました。 自宅は無事でしたが、ニュースを見ようとTVを付けた時に目に飛び込んできたのは東北の津波の映像でした。それまでは地震のことしか頭になかったのですが、映し出される海岸線の映像にこれはとんでもないことになっているのだと知りました。「ああこういうことなのだ。」何十年も前の父の言葉が甦って来ました。
私の父方の親族も被災をしましたが、全員無事でした。 近くの墓地に皆で声を掛け合って逃げたそうです。でもあまりの地震の凄さに腰を抜かして歩けなくなり、背負われて逃げる人もいたとか。墓地は山の中腹にあります。幼い頃、夏休みに遊びに行き、お墓参りに上ったあの場所。地元の人達の間ではそこが避難の場所になっていたようです。
もっと昔に津波を経験した先人たちが、子や孫に伝えていたことが役に立ったのですね。父が亡くなって20年経ちましたが、幼い私と話したあの時、伝えておきたい大事なことを話してくれたのだと思いました。
3/11を振り返って思ったことを書いてみました。【松原】
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