マンプラの愉快な仲間たち

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そうだ、会津若松へ行こう!

9月15日 今日は、私が所属するゴルフ場のクラブチャンピオン予選の競技会でしたが、先週の台風による停電・断水が続いており、競技会は中止となりました。仕事が忙しく、全く練習に行けていなかったので、私にとってはラッキーでした。

急遽、何も予定のない休日を迎えるにあたり、ふと旅に出ようと思い、「そうだ、会津若松へ行こう!」ということで、14日仕事を終え、帰宅して夕食を済ませ、旅の準備をして夜12時過ぎに家を出ました。福島まで向うには時間が早いため、都内の24時間営業のゴルフ練習場で1時間ほど練習して、いざ東北道で北上。

サービスエリアが大好きな私は、会津若松までの道中、運転の休憩を兼ねて4箇所ほどサービスエリアに寄りましたが、那須高原で2時間ほど仮眠して、いざ出発という時に、車のエンジンが掛からなくなり、仕方なくロードサービスを呼ぶことに。エンジンをストップして車内で寝ていたのに、何故かバッテリーが上がっていました。。。

ところでなぜ会津若松なのか?
私は戦国時代と幕末(特に新撰組)の歴史が大好きで、今一番行来たい場所は新撰組のゆかりの地である京都の「壬生」。そして次は新撰組の土方歳三・斉藤一や白虎隊で有名な福島の鶴ヶ城(会津若松城)でした。特に白虎隊と共に活躍した嫁女隊で会津美人の中野竹子には男ながらの興味があり、その資料を目にしたく会津若松へ向いました。

まず最初に訪れたのは「白虎隊記念館」。飯盛山の麓にあり、飯盛山で自害した白虎隊19人のお墓もあります。記念館には中野竹子の資料もあり、1時間ほど掛けてゆっくり展示物を確認してきました。その後、白虎隊の自害した場所を見学して19人のお墓を参拝。最後は、いびつな木造建築物で、一度通った通路は二度と通ることなく、塔の上まで上がり下りてくる「さざえ堂」。とても不思議な塔でした。

次に向ったのは、鶴ヶ城です。1868年(明治元年)の会津戦争(戊辰戦争)によって損傷した城を明治6年に取り壊し、昭和35年に現状に復旧されたようです。お城の中に入り、たくさんの資料を見ながらゆっくり回遊し、更に歴史に興味が沸きました。

昼食は、喜多方ラーメンにしようか、ソースカツ丼にしようか迷いましたが、奮発して輪箱飯(わっぱめし)に決定! 鶴ヶ城から近い「元祖輪箱飯・田季野」さんへ。お店の建物に入るや否や、急に時代が江戸時代にタイムスリップしたような感覚に。店員さんに聞けば、建物は約250年前のもので、元は陣屋だが、お殿様の参勤交代の際にも使用された建物だそうです。今回の旅での一番の感動が、この建物でした。輪箱飯と会津そばがセットになった、店員さん一押しの人気セットメニューを注文。輪箱飯はとても美味しく、そばは長ネギを箸代わりにして、ねぎを薬味としてかじりながら食べるのです。店員さんも皆さんとても優しかったです。

その後、お土産やに寄り、最後は「新撰組記念館」へ。ちょっと想像と違っていたが、新撰組他、戊辰戦争に纏わる展示品を見て来ました。

帰りは、館林IC付近で追突事故のため、東北道が大渋滞となりましたが、まる一日の日帰り旅行は十二分に満喫できました。今度はどこに行こうかな~

マンプラ 近藤

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